Jean Prouve(ジャン・ブルーヴェ):プチポテンスウォールランプをデザイナーズ家具専門店のArtchair(アートチェア)では格安かつ送料無料にて販売しています。
Artchair
Artchair Selection 【プチポテンスウォールランプ】
Artchair Selection【プチポテンスウォールランプ】
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■価格:30,600円(消費税込)
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■個数(必須)
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■送料:サービス
*沖縄・離島は別途必要
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商品情報
■サイズ:W1130×D50×H300
梱包重量:4.2kg 1梱包
■デザイナー:ジャン・ブルーヴェ
(Jean Prouve)
■仕様:
【フレーム・シェード】スチール粉体塗装仕上げ
【ソケット】E26 40Wまで(白熱電球の他、電球型蛍光灯,LED電球に対応)
【コード】約2.2m(ON/OFF式スイッチです。)
*設置にはビス止め等の施工が必要。
*電源は通常のプラグ仕様です。
*デザイン上、フレームがライトのやや手前で角度を変えていますので、電球から放たれる光は真下よりやや外向きに広がります。
【輸入会社】E-COMFORT(イー・コンフォート)---製造元:中国
【保証について】通常の使用により機能を有さなくなったと判断される破損や破壊の場合はE-COMFORT(イー・コンフォート)が1年間保証致します。尚、ご使用における細かい傷、洗剤やクリーナーなどを使用したことによる変色、直射日光や使用期間など時間経過による変色・磨耗・劣化などは保証の対象外です。
*この商品はライセンスフリーとなったため海外で製造しているジェネリック品です。
■説明:1950年にジャン・ブルーヴェがメゾン・トロピカル(Tropique)邸のためにデザインした照明器具がWall Lampのポテンス(Potence)です。スチールにブラックの塗装しただけの非常にシンプルなデザインがジャン・ブルーヴェらしいさを表現しています。Potenceとは、ランタン等を吊るす腕木であり、まさにランタンを彷彿させてくれるフォルムです。テンションワイヤー構造により、ミニマムまで細く長く伸びるアームと、取っ手によって左右に自在にふれる機能はまさにハイテクです。ブルーヴェの工業仕事の大まかさ、あるいは「アール・ブリュ(生の芸術)」に対する愛情を感じます。ブルーヴェは溶接の跡や未加工の表面を隠そうとしませんでした。ジャン・ブルーヴェは1920年代に芸術金属細工師のもとで修行し、その後独立しました。1924年頃からは薄板金属製家具のデザインをし、新開発の電子溶接技術を用いて製造していました。ジャン・ブルーヴェの家具の強い工業的な美にピエール・ジャンヌレ、ル・コルビュジエ、ロベール・マレなどのアバンギャルトの建築家が注目し、彼らから仕事の依頼が殺到しました。1930年代〜40年代には幅広く学校用の家具をデザインしました。ジャン・ブルーヴェは今まで培ってきた金属加工、溶接技術、そしてインターナショナルスタイルの洗練された美よりもアール・ブリュを求めて作品づくりが垣間見えます。
商品写真
ジャン・ブルーヴェがデザインしたプチポテンスウォールランプ
▲ジャン・ブルーヴェがデザインしたプチポテンスウォールランプ
ジャン・ブルーヴェがデザインしたプチポテンスウォールランプを点灯
▲ジャン・ブルーヴェがデザインしたプチポテンスウォールランプを点灯
ジャン・ブルーヴェがデザインしたプチポテンスウォールランプの先端部分
▲ジャン・ブルーヴェがデザインしたプチポテンスウォールランプの先端部分
ジャン・ブルーヴェがデザインしたプチポテンスウォールランプの壁面への固定
▲ジャン・ブルーヴェがデザインしたプチポテンスウォールランプの壁面への固定
Jean Prouve (ジャン・ブルーヴェ)
Jean Prouve (ジャン・ブルーヴェ)
Jean Prouve (ジャン・ブルーヴェ) 1901年〜1984年
ジャン・ブルーヴェは1901年にナンシー派を共同で結成した画家のヴィクトール・プルーヴェの息子として生まれました。1916-19年まで芸術金属細工師エミール・ロベールのもとで修行し、その後の兵役が終わってから1923年ナンシーのジェネラル・キュステーヌに自らの工房を開きました。最初はドア、窓格子、手摺などの注文を受けましたが、1924年になると薄板金属製家具をデザインし、新開発の電子溶接技術を用いて製造しはじめました。彼の家具の工業的美は、ピエール・ジャンヌレ、ル・コルビュジエ、ロベール・マレ=ステヴァンなどのアヴァンギャルドの建築家の注目を集め、皆ジャン・ブルーヴェに仕事を依頼しました。1924年椅子のデザインの構造のために平管技術を開発し、それはスチールパイプの最も圧力のかかる部分を平たくして安定性を高めるというものでした。1925年のパリ「装飾美術博覧会」では、その先端技術を用いた実用的で調整可能なデザインで名誉賞を受賞しました。1929年、UAMの共同創設者なり、調節可能な椅子3脚をはじめとする数々のデザインを1930年の連合の第1回展覧会に出品しました。翌年、ソシエテ・デ・アトリエ・ジャン・プルルーヴェというさらに大きな工房を開き、最先端の抜き打ち機を導入し、1935年のパリ電力会社の金属机や1930年代-40年代には学校用家具などの公共の場で使用されるものを数多く製造しました。1944年にはナンシーの市長となり、1947年には大規模工場レザトリエ・ジャン・ブルーヴェを設立し、1950年には従業員250人を抱えていました。1950年にはレジヨンヌード賞、1952年には建築連盟ビルのファサードを張壁でCEA大賞を受賞しました。1954年にはパリにデザインスタジオを設立、1955-56年までレ・コンストリュクシオン・ジャン・ブルーヴェを興しここで仕事をしました。ブルーヴェの材料の選択と製造方法は航空業界から引き出され、仕上げなしで溶接された美より「アール・ブリュット(生の芸術)との共通点が多いと評価されています。
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